開入本願大智海 行者正受金剛心

原文 書き下し文
開入本願大智海 (本願の大智海に開入すれば)
行者正受金剛心 (行者正しく金剛心を受け)

目次

  1. 本願とは?
  2. 大智海とは?
  3. 本願に救われると?
  4. 何を頂くの?
  5. どれ位変わらないの?

本願とは?

開入本願大智海 行者正受金剛心」は、
本願の大智海に開入すれば、行者正しく金剛心を受け
と読みます。

本願」とは「阿弥陀仏の本願」のことです。
阿弥陀仏の本願」とは、大宇宙の諸仏の本師本仏の阿弥陀仏が、
我を信じよ、どんな人をも必ず助ける
 絶対の幸福に

と誓われているお約束のことです。

ではその阿弥陀仏の本願を、親鸞聖人はなぜ「大智海」と言われているのでしょうか。

大智海とは?

大智」とは、大きな智慧ということで、仏の智慧、仏智のことです。

仏はみな、慈悲と智慧を円満しておられるますので、「悲智円満」といわれます。
」とは慈悲、
」とは智慧のことです。

慈悲と智慧がなければ、仏ではありません。
大宇宙の諸仏は、みな慈悲と智慧が円満しておられます。

ところが阿弥陀仏は特に、諸仏方とはけた違いに深い智慧を持っておられます。

知慧の働きとは、私たちの苦しみを抜き取ってくださる働きですから、智慧とは、私たちを救う力です。

この智慧が深いことが、阿弥陀仏が、他の仏に比べて、ずば抜けてすぐれておられる所ですので、諸仏方は、阿弥陀仏のことを「智恵光仏」と言われています。

それを親鸞聖人はこう言われています。

無明の闇を破するゆえ
智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆
ともに嘆誉したまえり
 (親鸞聖人『浄土和讃』)

阿弥陀仏の光明(智慧)は限りなく、大宇宙の諸仏が見捨てた私たちを救うお力を持っておられる。
苦悩の根元である「無明の闇」を破るお力があるから、一切の諸仏や菩薩方は、阿弥陀仏を「智慧光仏」といって、褒め称えておられるのである、ということです。

他の仏の知慧では、破ることのできなかった私たちの無明の闇を、阿弥陀仏だけが破ることができるので、大宇宙のすべての仏さま方が
われらが本師本仏」「諸仏の王である」と称讃されるのです。

その、ずば抜けて広く深い智慧の働きによって、なされているお約束が阿弥陀仏の本願ですから、親鸞聖人は海にたとえらて、「本願の大智海」と言われています。

ですから、「本願の大智海に開入すれば」とは、阿弥陀仏の本願の通り、無明の闇が破られて、絶対の幸福の身に救い摂られたならば、ということです。

では救われたらどうなるのでしょうか?

本願に救われると?

次に「行者正しく金剛心を受ける
と教えられています。

行者」とは
普通、行者と聞くと、山で修行をする人のように思われるかもしれませんが、そうではありません。

ここでは「行く者」と言っていいでしょう。
どこへ向かって行く人かといいますと、「弥陀の浄土へ往く人」のことです。

私たちは、何のために生まれてきたのか、
どこへ向かって生きているのか、
なぜ苦しくて生きねばならないのか。
これが人生の目的です。

親鸞聖人は、私たちの究極の目的は、
この世で絶対の幸福に救い摂られ、来世は弥陀の浄土へ往って、弥陀と同じ仏に生まれることである」と教えておられますから
行者」とは、その究極の目的に向かって行く人、弥陀の浄土に向かってゆく人、ということです。

正しく」とは「間違いなく」「確実に」、
受ける」とは、阿弥陀仏から頂くということです。

では行者は、阿弥陀仏から何を頂くのでしょうか。

何を頂くの?

それが「行者正しく金剛心を受ける」と言われている「金剛心」です。
金剛心」とは、金剛石のような心、ということです。

金剛石とは、ダイヤモンドのことで、地球上で最も硬い石です。
硬い」ということは、「変わらない」ということですから、
金剛心とは、絶対変わらない心ということです。

どんなことがあっても、微動だにもしない心のことを、金剛心と言われているのです。

私たちの心は、盆の上の卵のように、コロコロ変わるから、ココロといわれるのだそうです。

そんな、動きずくめ、変わりずくめの私たちの心が、人生究極の目的を完成すれば、絶対変わらない心になるのだ、ということです。

どれ位変わらないの?

どれ位変わらないのかについては、
善導大師は「四重の破人」に攻撃されても微動だにもしない、と教えられています。

四重」とは4通り、
破人」とは破ろうとしている人ということで、
阿弥陀仏に救われた人の信心を動乱させ破壊しようとする者たちのことです。

どんな人たちかというと、

(1)智者や学者が総攻撃しても
(2)初地以下の聖者が総攻撃しても
(3)初地以上十地以下の菩薩が総攻撃しても
(4)仏が攻撃しても

阿弥陀仏に救われた人を、仏さまが攻撃することは絶対にあり得ませんが、仮定として、たとえあったとしても、信心は、まったく動揺しないということです。

この四重の破人が総攻撃しても、微動だにもしない心が金剛心だと教えられています。

このように、
開入本願大智海 行者摂受金剛心
本願の大智海に開入すれば、行者正しく金剛心を受ける」とは、人生究極の目的に向かって行く者には、必ず完成ということがある。
この世で阿弥陀仏の本願に救い摂られたならば、どんな非難攻撃を受けても変わらない、鮮明不動の金剛心になれるよ。
と親鸞聖人は断言されているのです。

正信偈の本質がわかるメール講座

『正信偈』には、親鸞聖人が90年間教えて行かれた仏教の真髄が、圧縮しておさまっています。
その親鸞聖人90年の教えとは、私たちは何のために生まれて来たのか、何のために生きているのか、なぜ生きねばならないのか、という本当の生きる意味です。

その『正信偈』の本質を、今回、小冊子とメール講座にわかりやすくまとめました。
以下のページから今すぐ詳細をご確認ください。

(今なら正信偈の読み方がわかるmp3音声も無料でプレゼントしています)

ページの先頭へ